コトタマ
「日と火について」2022/07
かつて国名「日本」をニホンと読むかニッポンと呼ぶかが問題になったことがありました。漢字表記の「日本」は字音ジッポンであり、それがヨーロッパに伝わりジッパンとなりJAPANになったといわれています。もともと「日本」という漢字化の基語はヒノモト(日の本)です。ここで問題なのはヒ=日即ち太陽という漢字によるイメージは、ヒノモトというコトバから考えると少々おかしいことになります。実はヒのモト(元)が太陽であり、ヒはその太陽から発散するヒカリ(光熱)のことです。
日と火は現象的には天地の違いはあっても同じヒです。物(日・火)は違っていても太古の祖先がその肌に感じる共通の感覚はヒ(温かさ)でありました。
対話(ことば)時代には、同じコトバでも対象を指差することによって区別できます。
日・火という漢字を覚えた私たちは、それによってすぐ物質としての日や火を頭に浮かべますが、その重要な機能である熱エネルギー(ヒ)のことは忘れがちでした。科学文明の果てに今ようやくその重要性に気づき、自然のエネルギーへの見直しが始まったといえます。音図構造の位相によるとヒ語は熱エネルギーのことです。
ヒ(熱)が万物の生命にとって、どんなに重要な存在であるか、太古の人類は既に充分承知していました。
それは冷たい死体と温かな生体との比較からも明らかであり、その厳しい経験によっても理解できることでした。
太古の祖先が熱=生命という素朴な考えをもったとしても無理はありません。死者を蘇らせるために、どんなにヒを渇仰したか想像に難くありません。日本人のヒに対する観念は信仰的でさえあります。日常化した太陽崇拝の行事もその科学的認識以前からある人類の直感の伝承です。
それよりも重要なことは、日本語では人類のことをヒトと称していることです。そこには日本人の人間観があり、その真性の活動家をヒジリ(聖)ともいいます。



