コトタマ
「故郷を想う」 2022/01
コロナのデルタ株が急激に減少し一安心と思いましたが、オミクロン株という新手の株が出現し、正月、故郷に帰るのを諦められた方も多かったようですが、人智の及ばぬウイルスの爆発はいつ起るか判らず、世界の不安は去ることはありません。
地球の内部のエネルギーが充満し、地表を破って火を噴きます。いわゆる火山現象です。こんなとき火を吹くとは書きません。同じフ語でも現象によって漢字を使い分けます。漢字の原義を心得ている外来技術(表記法)の巧みな活用です。
漢字が制限されれば、原始に帰ってフクというコトバのまま片仮名書きします。漢字のない時代には何らかの表記記号(古代和字)があったと考えるのが常識的です。フ語のコトバの次元では、噴・吹のどちらにも当て嵌まる原則的な自在性があります。
胸(肺)に空気をいっぱい詰めて凝集充実させ、口唇をすぼめて一気に吹き出せば、消えかかった焚火の火も再び燃えさかります。ただ静かに存在する空気にはそんな力はありません。肺という器官と人間の意思によって強化されるエネルギー代謝です。
焚火を吹くなどは太古の昔にはおそらく日常的な行為であったことでしょう。その時のフウは自然の声音です。無意識の生活体験から、その自然発声が意識化されて語(ことば)になれば、凝集充実させて一気にまとめるという事実(コト)がそのままフ語の原則的な背景になります。
フウの自然発声は砂や落葉を吹き払う行為で、その場をきれいにするという意味も派生し、漢字到来後はそれを拭くと表記し、吹くとは区別されます。体中の力を一気に足にこめることは踏むになります。
フ語を主格にしたコトバを、考証のため今少し身辺を見回してみましょう。充実した力(フ)が目に見えぬかすか(カ)な存在(シ)となることをフカシ(深し、更し)といい、目に見えぬが、気として強力に変化するのをフカス(蒸す)といいます。老化することをフケル(ケは変化すること)ともいいます。エネルギーが充実した行為をフルフ(振・奮・震)といいます。
故郷(フルサト)という表現があります。振る、奮るのフルが古いにもなりますが、振・奮の昔からの伝統的な送り仮名はハ行(フルフ、フルヒ、フルヘ)であって、現代仮名遣いのように振い奮いとは書きません。古の方は古キ、古サ、古シと変化してハ行は使えません。フルが漢字で古い意味になるのは、それはフルのキザシ(兆候)の段階にあるからです。
成人してその生命の機能(振動)を何処で発揮しようとも、その兆しは既に生れ故郷にあるからです。それがフルサトです。(サトがその純粋な始動の出発点を意味します)
現在の自己(日本人)の存在は、フルサトからの生命の延長で、日本語の基本的コトバを遡って考えることは自己を顧みることです。



