コトタマ
「群がること」2020/07
サクラの問題も新型コロナの影響でウヤムヤに終りそうです。その不明瞭さが募ればムカムカする人もいるでしょう。そのムカムカは情念の充満堆積から起ります。別の言い方をすれば、いろいろの要素が集積し醗酵醸成した状態が「ム」の本質です。
ムラ(村)は人や家が集まったところで、それは同時にムラガル(群がる)という言葉とも同義で、或る一定の空間に集まる状態または現象を言います。村や群がるは、あくまで目で見た形(状態)をいう漢字表記です。ただ集まった形だけでは意味がありません。前述のように「ム」語の本質は、集まることによって醗酵し新しいエネルギーを醸成することが原則です。そこに人間の集団、社会の形成に対する日本人の目的と理想があり、それがそのままムラ、ムラガルの日常的な言葉で伝えられています。それは集まるという形に対する質の表現です。
ムラがアル(群がる)といえば、均等均質なものの集まりではなく、異なる資質の結集であり、それはそれぞれの個性の集合による全の構成でもあります。
私たちは、「虫が生まれる」とはいわず「虫がわく」と言います。湯が沸くと同じ言い方で、それは熱(ヒ)とは無関係ではありません。冷たい冬が過ぎ春ともなればムシがわき、ムシムシと汗ばむ頃の実感がそのまま虫になります。熱との関係はムス、ムレル(蒸れる)という言葉が一番よくその意味を表わしていますが、現代的な用語でいえば醗酵熱に当たります。もちろん遠い古代には、醗酵醸成などという漢字による表現はありません。そういう現象を総括して、自然発生のムス及びその客観的受身の表現としてムレルと言いました。
新しい生命の誕生を醗酵などといえばおかしなことになりますが、男女の情熱が一体化した結果として生まれたのがムスコ、ムスメです。この言葉には人間の意志を超えた自然発生の感動がよく表れています。そしてその行為がムスビ、ムスブ(結ぶ)になります。



